仙光寺のあゆみ
1598(慶長3)年3月10日
本願寺第12代准如上人の法孫・釋深源法師が真言宗系の寺院を改宗して開山
1641(寛永18)年8月28日
ご本山にて寺号許年(公称)・木佛許可
1871(明治4)年
明治政府の廃仏毀釈により、当寺に10か寺が合寺
1881(明治14)年4月26日
第14世住職に釋性然就任
1919(大正8)年7月7日
第15世住職に釋勝善就任
1942(昭和17)年8月21日
第16世住職に釋法城就任
1958(昭和33)年4月1日
「仙光寺仏教婦人会」結成
1959(昭和34)年10月10日
総代・世話人会で三納長谷の三宅村山林地を借用し、植林することが決定
杉・檜3,000本 松4,500本
杉・檜3,000本 松4,500本
1962(昭和37)年5月4日
第17世住職に釋法耿就任
門信徒会総代会長・上田浦一氏就任
門信徒会総代会長・上田浦一氏就任
1965(昭和40)年4月
昭和36年4月の三納長谷山林火災による寺山焼失のた再植林
檜2,600本
檜2,600本
1967(昭和42)年4月
「仙光寺仏教青年会(YBA)」結成(初代会長・井上清一氏/会員9名)
1967(昭和42)年9月
境内の墓地・諸仏堂を整理
1971(昭和46)年3月
小学校新入学のお祝い会を始める(11名参加)
1971(昭和46)年9月
山門修復工事
1972(昭和47)年6月
本堂内陣修復工事
1973(昭和48)年4月
親鸞聖人御誕生800年慶讃・立教開宗750年慶讃・本堂内陣修復工事記念大法要勤修(稚児行列 国分寺~当寺)
1975(昭和50)年2月
“仏の子ども”を育てるために「学校法人朝日学園」創立
1975(昭和50)年4月
「あさひ幼稚園」開園
1977(昭和52)年4月
門信徒会総代会長・黒木今朝吉氏就任
1977(昭和52)年5月
大正年間に開校し、一時休校となっていた仙光寺日曜学校が再開(34名入校)
1978(昭和53)年5月
参拝者トイレ工事
1979(昭和54)年1月
喚鐘寄進される
1979(昭和54)年5月
山門屋根葺替工事
1979(昭和54)年9月
「仙光寺若婦人会」結成(初代会長・押川啓子氏/会員22名)
1979(昭和54)年12月
「仙光寺仏教壮年会」結成(初代会長・押川武氏/会員41名)
1980(昭和55)年2月
連続研修会始まる(4,6,8,10月)
1980(昭和55)年5月
寺役員の妻の会結成(初代会長・吉野キヨエ氏・会員16名)
1981(昭和56)年4月
「仏教寿楽会」結成(初代会長・吉野清一氏)
1982(昭和57)年2月
西都市仏教会寒行托鉢(歳末助け合い運動)が当寺から始まる
1982(昭和57)年4月
門信徒会総代会長・佐伯澄義氏就任
1983(昭和58)年12月
本堂内陣修復工事
1985(昭和60)年9月
本堂屋根葺替工事
1986(昭和61)年4月
門信徒会総代会長・押川武氏就任
1990(平成2)年6月
本堂西側の竹山を整備して駐車場造設工事始まる
1991(平成3)年1月
第1回仙光寺杯ゲートール大会(25名参加)
1992(平成4)年7月
旧和光寺門徒仙光寺へ入門
(大正10年1月に当寺が開設した仙光寺妻町説教所、後の和光院(寺)が平成5年2月に法人解散したため)
(大正10年1月に当寺が開設した仙光寺妻町説教所、後の和光院(寺)が平成5年2月に法人解散したため)
1993(平成5)年3月
花いっぱい5か年計画初年度植樹
(ソメイヨシノ6本・八重桜6本・椿6本)
本堂内陣修復工事始まる
(ソメイヨシノ6本・八重桜6本・椿6本)
本堂内陣修復工事始まる
1993(平成5)年5月
小学校土曜休校に伴い、日曜学校を土曜学校(サタデースール)に変更
1993(平成5)年9月9日
本願寺第24代即如門主広瀬組ご巡教(当寺が行事寺院)
1993(平成5)年9月11日
朝日山仙光寺開創400年記念慶讃法要・本願寺第24代即如門主ご巡教記念法要・本堂内陣修復工事記念慶讃法要・仙光寺門信徒物故者総追悼法要勤修(稚児行列 PAO~当寺)
1998(平成10)年4月
門信徒会総代会長・吉野忠康氏就任
1998(平成10)年5月
蓮如上人500回遠忌を記念して、瑞珠庵の境内飛地に仙光寺墓地に「安養の苑」建立
2002(平成14)年2月
ゲートボール大会がグランドゴルフ大会に変わる
2003(平成15)年10月
第45回仙光寺敬老会
(昭和33年から開催されていた敬老会は今回で最後となる)
(昭和33年から開催されていた敬老会は今回で最後となる)
2006(平成18)年7月
ハワイ開教区仏教青年会会員(YBA)3名が当寺にホームステイ
2007(平成19)年3月
親鸞聖人750回忌大遠忌法要御待受記念として、仙光寺伽藍改修整備事業始まる
2010(平成22)年4月
境内駐車場で“花見の宴’始まる(仏婦主催)
2010(平成22)年9月
境内で“月見の宴”始まる(仏婦主催)
2013(平成25)年3月29日
第18世住職に釋法純就任
2014(平成26)年4月26日
第18世住職継職奉告法要・親鸞聖人750回大遠忌法要・門信徒物故者総追悼法要勤修(稚児行列 光井家具本店~当寺)
2015(平成27)年10月
門信徒会総代会長・吉野泰弘氏就任
2016(平成28)年4月
あさひ幼稚園が保育機能を併せ持った幼稚園型認定こども園に移行し、「認定こども園あさひ幼稚園」と園名変更
2018(平成30)年4月
門信徒会総代会長・長友一四郎氏就任
2022(令和4)年3月15日
総代・教化団体長会において、納骨堂建立、並びに三納長谷の寺山伐採が決定
2023(令和5)年1月31日
西都市より「墓地等(納骨堂)経営許可」が下りる
2023(令和5)年4月1日
「仙光寺納骨堂」運営開始
仙光寺 歴代住職
開基住職
釋深源
第 2 世
釋休覺
第 3 世
釋秀榮
第 4 世
釋正惠
第 5 世
釋正圓
第 6 世
釋秀説1725(享保10)年10月8日往生
第 7 世
釋玄祐1773(安永2)年8月3日往生 享年65歳
第 8 世
釋健明1805(文化2)年10月15日往生
第 9 世
釋維解
第10世
釋義潭
第11世
釋知教1834(天保4)年2月8日往生
第12世
釋法岸1861(文久元)年3月24日往生 享年74歳(坊守)ウタ 1862(文久2)年3月2日往生 享年61歳
第13世
釋義觀1877(明治10)年3月4日往生 享年40歳(坊守)旭吉ナヲ 1870(明治3)年8月17日往生 享年26歳
第14世
釋性然1924(大正13)年12月21日往生 享年83歳豊後・西音寺出身(坊守)旭吉似久 1922(大正11)年1月24日往生 享年81歳
第15世
釋勝善1934(昭和9)年5月6日往生 享年67歳安芸・順広寺出身(坊守)旭吉ミチ 1940(昭和15)年3月25日往生 享年63歳
第16世
釋法城1961(昭和36)年11月16日往生 享年59歳(坊守)旭吉キワ 1993(平成5)年11月3日往生 享年82歳
第17世
釋法耿(坊守)旭吉敦子
現 住 職
釋法純(坊守)旭吉真美子
廃仏毀釈
明治政府は1868(明治元)年、「王政復古」「祭政一致」の理想実現のため、神道国教化政策として「神仏分離令」を発布した。それに伴い、1871(明治4)年に「廃仏毀釈」を断行し、全国的に仏教寺院・仏像・経巻を破毀(破棄)し、仏教を廃することを推し進めた。廃仏毀釈により、当寺には下記の10か寺が合寺された。
照明寺(尾筋・真宗) / 国分寺(国分・真言宗) / 福寿寺(松田・禅宗) / 鞍馬寺(山路・真言宗) / 安養寺(酒元・真言宗) / 転法輪寺(酒元・真言宗) / 延命寺(清水・真言宗) / 清水寺(清水・禅宗) / 龍福寺(清水・真言宗) / 光福寺(今井・時宗)
仙光寺本堂南側に諸仏堂を建立して、その廃仏された寺院のご本尊・諸仏・仏具等を当寺門信徒が護った。その中には国分寺五智如来像(宮崎県指定文化財)・酒元の観音像(西都市指定文化財)・朝日の観音像(焼身)等々があり、明治15年頃から復興した寺院へ徐々に返還したが、復興されなかった寺院のご本尊等(阿弥陀如来坐像・薬師如来立像等8体)が、今でも仙光寺に安置されている。
明治初年を知る各寺の過去帳・記録等ほとんどは焼却されているので、この仏様が当時を知る唯一資料でもある。